停電の訓練で、名人はストップウォッチだけを持っていた。年度の終わりに、新しいリーダーは34のしくみを1枚の地図にする。
名人は、何にも触らない。
2月、第二工場のサーバー室で停電の訓練をしました。去年の雪の日から、もうすぐ1年。名人と呼ばれてきたインフラ担当は、4月に工場の設備部門へ移ります。だからこの訓練は、名人がもう来ない日の練習でもありました。
訓練は、工場長の合図で始まりました。サーバー室の照明を落とし、非常用の電源に切り替わったことにする。非常用の電源がもつのは30分。そのあいだに、決めた順番でサーバーを安全に止める。
役は先に決めてありました。指揮は新しいリーダー。止めるのは当番の2人で、去年の雪の日にカードどおりに止めて戻した2人です。それに、新しいラインの中継サーバーの2人目になった中途のメンバー。入口の横には、ストップウォッチを首から下げた名人。
始まって3分で、訓練用の内線が鳴りました。工場の事務からの「停電です」という第一報の役です。誰より早く手が伸びたのは、やっぱり新しいリーダーでした。受話器に指が触れたところで窓口当番と目が合い、手を引きました。指揮が受話器を持てば、ホワイトボードの前が空く。窓口当番が電話を取り、記録に番号を付けました。
当番の2人は、扉に貼ってある去年の1枚を懐中電灯で照らし、生産管理、出荷ラベル、勤怠の端末と、順に止めていきました。12分。ここまでは、去年の1枚のとおりです。
出荷ラベルが止まった直後、中継サーバーの画面に赤い文字が並びました。渡す先が、急になくなったからです。中途のメンバーは、懐中電灯を脇にはさんで、厚いファイルを開きました。中継サーバーの手順書、40ページ。12月から名人の隣で書きためてきたものです。止める前の確かめ、その確かめのための確かめ、うまく止まらないときの分かれ道。どれも正しい。ただ、片手に明かりを持ってめくるには、厚すぎました。目当てのページを探す紙の音が、何度も止まっては、また続きました。
入口の横からは、何の声もかかりません。名人はストップウォッチを見て、手元の紙に数字を書くだけでした。
照明が戻っても、中途のメンバーはしばらく、開いたままのファイルを閉じられずにいました。
振り返りは、そのままサーバー室の前の廊下でしました。工場長が、扉に貼ってあった去年の1枚をはがして、指で叩きます。「中継サーバーの行が、ないな」
答えようとして、新しいリーダーは言葉に詰まりました。この1枚は、なぜこの順番なのか。1枚ができたのは1年目の夏で、そのころはまだ、ヘルプデスクの席で電話を取っていました。
「……去年の1枚を、なぜあの順番にしたのか、私、ちゃんと説明できないんです」
閉じたファイルの表紙を、中途のメンバーはじっと見ていました。「……これ、暗いところでは読めませんね」
誰も、責めることは言いませんでした。40ページは、どれも正しかった。12月に名人の隣で一行ずつ書き写した、正しい手順です。正しくて、暗いところでは読めなかった。それだけでした。
数字を書いた紙は、名人から新しいリーダーの手に渡りました。ひとことも添えずに。
34分という数字には、もうひとつ重さがありました。非常用の電源の30分です。去年の3月、名人は改善の一覧に1行を書いていました。非常用の電源を、30分から2時間に延ばす。見積もりと、経営会議にかける資料の下書きを添えて。その行は秋に、来年度の要望のひとつとして経営企画まで上がり、そこで止まりました。経営企画の席に移った前のリーダーの返事は、こうでした。
「今は判断できない。全社の計画と並べないと」
あの日から、この1行は動いていません。
訓練は、本番の前に失敗を見つけるためにあります。見つかったのは、34分と、書いていなかった1行と、厚すぎる手順でした。同じ数字でも、席によって重さが違います。
子は人ではなく、席につく。言葉がきつくなるのは、うしろの子が何かを怖がっているとき。6体の紹介は地図に
「……去年の1枚を、なぜあの順番にしたのか、私、ちゃんと説明できないんです」
怖いのはしくみがなぜそこにあるのかを、自分の言葉で言えないまま、次の人に渡すこと
「……これ、暗いところでは読めませんね」
怖いのは書いていないところで事故が起き、誰かが責められること
「今は判断できない。全社の計画と並べないと」
怖いのはひとつの部署の頼みを、全社の計画と並べないまま、先に決めてしまうこと
せきのこ ── 席のうしろの、小さな子たち
去年の1枚は、1年目の夏に台帳を作ったときにできたものです。雪の日には、この1枚が効いた。どれから止め、どれから戻すか。止まると困るものの大きい順に並べた理由は、作った人たちの頭の中にあって、紙には順番だけが残りました。廊下で説明できなかったのは、そのためです。
そして6月、新しいラインと一緒に、中継サーバーがサーバー室に入りました。ラインの機械から「この箱に、このラベル」という指示を受け取って、出荷ラベルのサーバーに渡す機械です。去年の1枚は、その日から古くなっていました。誰も書き直さなかった。止まらない限り、扉に貼った1枚を読み返す理由がないからです。
工場長と並んで、1枚を作り直すことにしました。今度は、順番の横に理由の欄を足す。止まってから何時間で出荷に響くか。データや設定は、どの時点まで戻せればいいか。そして、どれがどれにつながっているか。
工場長に聞くと、中継サーバーが止まっても、手書きのラベルで新しいラインを回せるのは2時間まで。それを超えると、その日の最後のトラックに積めない。中継サーバーが持っているのは、どの機械にどのラベルを出すかの設定だけで、設定が変わるのは変更カードを通したときに限られます。戻す時点は、最後に設定を変えたときで足りる。理由の欄には、目標復旧時間の「2時間」と、目標復旧時点の「最後の変更のとき」が入りました。
少し離れたところで、名人がホワイトボードに箱を描きかけました。そこで手を止め、マーカーを中途のメンバーに渡す。受け取った手が、12月に名人が描いたのと同じ箱を描き、矢印を1本足しました。中継サーバーから、出荷ラベルへ。指示を渡す向きです。止めた順番がまずかった理由が、その1本で説明できました。受け取る側を先に止めたから、渡す側が行き場をなくしたのです。
電気が戻ったあと、どれから戻すか。去年の1枚は、止まると困るものの大きい順でした。今年は中継サーバーがあります。中継サーバーは、ラインの機械からの指示を出荷ラベルのサーバーに渡します。
先にやるものから順に押してください。
順番を決めるのは、影響の大きさと、つながりの向き。去年の1枚には、つながりの向きを書く欄がなかった。止めるときは、この逆からたどる。
計画が古くなるのは、サーバー室に何かが足された日です。それに気づけるのは、試したときだけでした。順番の横に理由を書いておけば、次に読む人は、新しい箱が来たときに自分で並べ直せます。
目的:災害が起きても、サービスの可用性と性能を十分な水準に保ち、組織の回復力を高める
訓練で、去年の1枚が古くなっていたと分かった
1年目では 第12話 止まった日 で出会ったしくみ。
名人の記録によれば、中継サーバーにかかった30分のうち11分は、ページを探していた時間でした。
誰に言われたわけでもなく、中途のメンバーはその数字を自分のノートに写しました。それから新しいリーダーの席まで来て、ファイルを机に置いたまま言いました。
「12月に、全部書くべきだったと言いました。書いたのは、間違ってなかったと思います。暗いところで要るのが、その中の何行かだっただけで」
次の日、中途のメンバーの机には、名刺より少し大きいカードが1枚ありました。
わからなくなったら、止めずに窓口へ。
止める順は、機械に貼った札の番号に任せました。赤い札の1番は中継サーバー、2番が出荷ラベル。渡す側を先に止めて、受ける側をあとに止める。戻すときは、青い札の番号で逆からたどる。40ページのうち、暗い部屋で要るのは、札の番号とこの3行でした。
カードを読み終えた名人は、何も直さずに返しました。
40ページのファイルは、捨てませんでした。背表紙に「調べるとき用」と書いて、棚に立てた。付箋だらけのITILの本は、いつのまにか机の端に寄せてありました。
この1枚は、改善の一覧にも載せました。1年目の12月から、月に一度の見直しの場で動かしてきた一覧です。いちばん上には、ずっと同じ一行が書いてあります。「名人が来られない日にも、停電で出荷を止めない」。
一覧には、もう1行、止まったままの行がありました。去年の3月に名人が書いた、非常用の電源の行です。新しいリーダーがその行を開いていると、名人が横から、ストップウォッチの数字を書いた紙を指でたたきました。
「その行にも、34分を書いておいてください。継続的改善は、測った数字がないと回らないので」
訓練のあとで名人が口を開いたのは、これが初めてでした。行は、その場で書き直しました。今の値は30分で、訓練では止め終えるまでに34分かかった。目標は2時間。中継サーバーの目標復旧時間と同じ長さにそろえます。持ち主は名人のままで、4月からは工場の設備部門の席で持ち続ける。非常用の電源は、もともと工場の設備の一部でもあります。費用のかかる行なので、いつやるかは経営企画が全社の計画と並べて決める。情シスが用意するのは、並べてもらうための材料までです。
継続的改善モデルは、7つの問いをくり返します。1つ目の「ビジョンは何か」は、もう決まっています。「名人が来られない日にも、停電で出荷を止めない」。残りの6つを並べます。
先にやるものから順に押してください。
1つ目の問いの答えは、毎年同じでいい。名人が来られない日にも、出荷を止めない。2つ目から先は、毎年違う答えになる。
今の値と目標がそろったとたん、改善の一覧の1行は、ほかの行と比べられるものになりました。34分を測っていなければ、3月に何分で止め終えても、それが速いのかどうかは言えません。非常用の電源の行も、同じ物差しを足しただけで、経営企画の机に載る形になりました。
目的:製品・サービス・プラクティスを少しずつ良くし続け、変わっていく事業のニーズに合わせる
34分を測り、1枚にして、19分を測り直す
1年目では 第9話 ITILという名の渋滞 で出会ったしくみ。
3月の訓練は、2月と同じ条件で行いました。照明を落とし、非常用の電源に切り替わった想定。入口の横には、また首からストップウォッチを下げた名人が立っています。
暗くなると、扉の内側でカードの縁がぼんやり光りました。中途のメンバーはそれを一度だけ見て、赤い札の1番に手を伸ばす。中継サーバーが止まり、続いて当番の2人が、2番の出荷ラベルを止める。画面に、赤い文字は並びません。
ページをめくる音は、一度もしませんでした。
19分。名人は数字を紙に書くと、今度はその紙を、中途のメンバーに渡しました。
改善の一覧の34分の横に、19分と書き入れる。状態の欄は「完了」。それから中途のメンバーは、すぐ下に1行を足しました。「サーバー室に何か足したら、その月のうちに訓練」。
工場長は、扉のカードを指で軽く叩きました。2月に、去年の1枚を叩いたのと同じ指です。「これなら、うちの当番でも読めるな」
34分は、19分になりました。けれど、3体の子に顔を上げさせたのは、数字そのものより、なぜ縮んだのかが紙に書いてあることでした。
怖がっていたことしくみがなぜそこにあるのかを、自分の言葉で言えないまま、次の人に渡すこと
怖がっていたこと書いていないところで事故が起き、誰かが責められること
怖がっていたことひとつの部署の頼みを、全社の計画と並べないまま、先に決めてしまうこと
試して、測って、書き直した紙は、書いた人が席を立っても残ります。
番号と分類はITIL 4の並べ方です。ITIL 5の試験で押さえるのは「プラクティス=資源のまとまり」と2つのグループまで。
せきのこ ── 席のうしろの、小さな子たち
3月の終わり、新しいリーダーは申し送りノートの最後のページを開きました。前のリーダーが残した引き継ぎ資料の余白に、4月から毎月1ページずつ書き足してきました。残りは、この1ページです。
異動の紙が来たわけではありません。4月からも、同じ席に座ります。それでも、最後のページは次に座る人に向けて書くことにしました。名人の3行の紙が来るまで、人は席を離れるものだということを、どこかで忘れていたからです。席には、いつか必ず次の人が座る。
描くことにしたのは、1年目と2年目に置いてきた34のしくみの地図でした。どれがどこにあって、なぜそこにあるのか。4月の自分には、自分の言葉で言えなかったことです。
地図は、上から下へ4つの段でズームしていく形にしました。読み方は、次のとおりです。
1段目は、ITIL。価値を生むための、組織全体の考え方です。ここで覚えておくのは、ものを見る角度が4つあること。組織と人材、情報と技術、パートナーとサプライヤー、バリューストリームとプロセス。この会社でいえば、7人とその役割、窓口の記録と台帳、ベンダーと保守会社、依頼が届いてから片付くまでの流れです。どの段に降りても、この4つの角度はついてきます。
2段目は、バリュー・システム。機会と需要を価値に変えるための、5つの部品です。従うべき原則、ガバナンス、バリューチェーン、管理プラクティス、継続的改善。前のリーダーが引き継ぎ資料の目次にした5つが、そのままこの段になります。地図が降りていくのは、そのうちの管理プラクティスです。
3段目は、34のしくみ。管理プラクティスを、ITIL 4の3つの分け方で並べました。一般管理が14、サービス管理が17、技術管理が3。ITIL 5では、一般管理と、プロダクトとサービスの管理の2つのグループにまとめられています。どちらの分け方で並べても、席で毎日使うのは、一つひとつの中身のほうです。
4段目は、1つのしくみの中身。3段目のボタンを押すと開きます。目的、中心の活動、道具、最初の一歩、まぎらわしい隣。各話で見てきた解剖図では、目的のまわりに、1段目と同じ4つの角度を置きました。いちばん上の考え方と、いちばん下の1つのしくみを、同じ4つの角度で見られるように作ってあります。
そして4段目の下に、この会社の具体があります。窓口、お願いカード、変更カード、台帳、戻す順番の1枚、改善の一覧、扉の内側の短いカード。地図には描ききれないので、各話の解剖図と、図鑑のカードに書きました。
押すと、そのしくみの中身が下に開きます。
34のしくみを1枚ずつ全部開いて並べたものは、しくみ図鑑にあります。どのしくみにも、1年目で出会った話と、2年目で使った話へのリンクを付けました。
描き終えて、新しいリーダーは気づきました。4月に、窓口とカードと台帳を前にして「なぜそこにあるのか」を言えなかったのは、1つずつしか見ていなかったからです。1つずつなら、使える。組み替えるには、どれがどこにつながっているかが要る。2月の廊下で、去年の1枚の順番を説明できなかったのも、同じ理由でした。
3月の終わり近く、前のリーダーが情シスの島まで歩いてきました。経営企画に移ってからも、用があるときは呼びつけずに、相手の島まで来る人です。用件は、非常用の電源の行でした。
「来年度の計画に載せました。7月の工事で」
用が済んでも、すぐには戻りませんでした。机の上の申し送りノートに目を留め、「見てもいいですか」と聞いてから、ページをめくりました。
印刷された目次のところどころに、新しいリーダーの鉛筆の線が入っています。「非常時は、練習した2人が止めて戻す」に線を引いて、横に「扉のカードと札の番号で、当番なら誰でも」。「変更カード」の欄には「中継サーバーの設定の写しを、変更のたびに取る」。「管理プラクティス」の欄の終わりには「スキルの表」。消しゴムで消せるように、全部、鉛筆で書いてありました。
上着からペンを取り出すと、鉛筆の線のいちばん多いページを開き、余白に一行だけ書きました。
書き換えていい
それから何も言わずにノートを閉じ、自分の島へ戻っていきました。
残された一行を、新しいリーダーはしばらく見ていました。それから引き出しのボールペンを出して、自分の鉛筆の線を、一本ずつなぞっていきました。
名人の、情シスでの最後の出社の日。窓口に第二工場から連絡が入りました。新しいラインのラベルが、1台だけ出ない。電話を取ったのは窓口当番で、記録に番号を付け、中途のメンバーに回す。カードを1枚持って、中途のメンバーが席を立ちました。
窓際の席では、名人が段ボールに荷物を詰めていました。電話の話は聞こえていたはずです。手は止まりませんでした。最後に、ストップウォッチを段ボールに入れかけて、やめて、ホワイトボードの横のフックに掛けました。来年の訓練の分です。
15分後、窓口の記録に「解決」が付きました。
4月から、窓際の席には中途のメンバーが座ります。その背中にどの子がつくのかは、まだ分かりません。席には、いつも何かの子がつく。それでも、扉の内側には短いカードが貼ってあり、ノートの最後のページには地図が描いてあります。
地図を描いたページの下半分が、3月の余白になりました。
Q1. 訓練で、全部を止め終えるまでの時間を測り、「34分」と改善の一覧に書いた。継続的改善モデルの7つのステップのどれにあたるか。
B。今の状態を測って基準(ベースライン)を作るのは、2つ目の「現状はどうか」です。3月に19分を測って25分と比べたのが、6つ目の「目標を達成したか」。同じ測り方をしているから、比べられます。
Q2. 停電に備えて、この会社がそろえたもの。扉の内側のカード、機械に貼った札の番号、当番の2人と中継サーバーの2人目、訓練の記録、非常用の電源を点検する電気設備の業者。ITIL 5の管理プラクティスの考え方で、これをどう言うか。
B。管理プラクティスは手順書ではなく、人、プロセス、ツール、情報、パートナーを含む資源のまとまりです。活動に資源を与えて、活動を動かせるようにする。ITIL 5は管理プラクティスを、一般管理プラクティスと、プロダクトとサービスの管理プラクティスの2つのグループに分けています。Cはバリューチェーン、Dはガバナンスの説明です。